吉祥寺の整体師 金内啓太(身体均整法)

整体、健康、美容関係のブログです

宇宙の法則でしたっけ?
2:6:2とか
3:4:3
の比率。

何もしなくても2~3割の
確率で波長の合う人に出会うとか
たまに贅沢したよねっていう割合。

4~6割は平凡、どっちつかず。
2~3割は嫌なことや人。

100人中100人に熱狂的に
好かれるということはない。

良く見られたい、思われたい
という殻は本当に必要なのだろうか?

2~3割の所を強化するよりも
4~6割の平凡で何気ないところに
感謝し、良いところを
見つけられる豊かな
心をわたしは見つけたい。

みつを

みたく締めましたけれども、
贅沢しすぎず、
豊かな心で1日をすごして
ゆきたいなって。

そんな感じです。


野口晴哉語録より》昭和18年

蝸牛(カタツムリ)の殻も大へんだが、まだ背負って歩ける。田螺(タニシ)や栄螺(サザエ)の殻に至っては見ていても重たい。弱いものには欲しいものだろうが、強くなろうとするものには、少々荷物だ。少し図々しいが、宿借りの殻なら、まだ気が楽だ。

医学辞典を丸暗記したのか、胃袋の中へ飛び込んで見てきたようなことを、ものものしく並べ立てて、生理学のありふれた理論を大きな声で言い立てている人の顔をジッと見ていたら、ふと宿借りを思い出した。

「鬼面人を嚇(おど)す」のは蟷螂(カマキリ)だけかと思っていたが、そうばかりでもないらしい。また髭(ひげ)と鬚(ひげ)、鼻眼鏡のものものしい栄螺を見たことがある。殻の言い訳して忙しそうだった。

殻を大きくする程、その維持に骨が折れる。それが知識であっても、肩書きであっても、また単に立派に見られたいということだけであっても。

殻が重すぎて人間が身動きできなくなっていることを良く見るが、人間が生きているということは、人間が生きていることであって、殻が生きていることではない。

生命の発展ということは、人間が殻の為に生きていることを停止して、その任意の存在であることだ。

こう見られたい、ああ見られたいと他人の目の動きに向かっていつも生きているのでは、殻は生きても人間は死ぬ。

生の一瞬といえども、吾らに対する自然よりの貴重な贈り物である。吾々自身が生き生き溌剌と生きねばならぬこと言う迄もない。

執着とか、気取りとか、可し可からずとか、人間が溌剌と生きることを妨げる重い殻をすっかり壊してしまって、もう少し自由になろう。その方が息をするにも楽だ。

吾らは人間が生きているということをハッキリ見定めよう。
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